第9話 『牙は粗奇譚』より続く
「編集長! 今度こそ本当の本当に素晴らしい奇譚を発見しました!」とボケ太が編集部に息を切らせながら飛び込んできた。
「ほう。聞かせてもらおうか」と私は答えた。
「あれ、いつもと乗ノリが違うな。いつものノリなら、また10日も前の古いネタじゃないだろうな、って怖い顔で言うところなのに」
「いつも同じ顔をするわけではないよ」と私は答えた。
そうとも、人間がいつも同じ顔などするわけがない。その日、その時の体調や気分によって表情は変わる。そうでなければ、人間ではなく機械だ。
「なんかおかしいな。天使の微笑みっていうの? とても優しそうな顔に見えますよ」
私は、ボケ太はこんなところだけは勘が鋭いなと思った。だから素直に答えてやった。「そうか。ちょっと嬉しいことがあってね。そのせいかもしれないね」
「そうですか。残念だなぁ。せっかく、どんな怒りも吹っ飛ぶ極上の奇譚を探してきたのに。烈火のごとく怒った顔が恵比寿様に変わるところが見たかったのに」
「それは残念だったな」と私は止まらない微笑みを浮かべながら答えた。「まあともかく、話してみたまえ。君が見つけた奇譚とやらを」
「はい、じゃあ言いますよ。実は言いたくて言いたくてうずうずしていたんです。題して、『破棄あらば奇譚』。より正確には、『破棄あらば福あり』という感じですが、長いからみんな『破棄あらば』と言っています」
「ほう、それでどのような内容なのだね?」
「それがですね。秋葉原の裏通りの雑居ビルの隙間にですね。小さなお稲荷さんが祭られていましてね。自分が愛しく可愛いと思うものを断腸の思いで破棄してからそのお稲荷さんに祈ると、福がもたらされるというのですよ」
「なるほど」と私は何度もうなずいた。それは、目新しい話を聞いて驚いたうなずきではなかった。むしろ、自分の知っている話と同じであることを確認するためのうなずきと言った方が良かった。とはいえ、私が既にその話を知っていたことを、まだボケ太に告げる気はなかった。
「で、本当に福を得た人がいるのか?」
「ちゃんと調べましたよ。ある人がですね。本当に福が来たと言っていましたよ」
「ほう、どんな福だ?」
「いかにもオタクって感じの人ですけどね。大好きなアニメのレーザーディスクを破棄したところ、そのアニメのDVDの発売が決まったという報道がなされたそうです。丁度、レーザーディスクのプレイヤーが壊れたところだったそうです。でも修理は高くつくし、プレイヤーはもう滅多に売っていないから新品を買うのも大変だし、どうしようかと迷っていたそうです。しかし、DVDが発売されれば、問題は全て解決、というわけですよ」
「なるほど。その本人にしてみれば、それが福というわけか」
「あれ、編集長怒らないんですか? いつもなら、そんなオタクなネタは記事には使えないって怒るところでしょう?」
「今日の私は心が広いのだ。続けたまえ」
「なんか気持ちが悪いなぁ。じゃあ続けますが、他にも実例があったんですよ。大好きな大好きな彼女を捨てた男の話なんですけどね。彼女を捨ててお稲荷さんに祈ったら、1/1美少女フィギュアのモニターに当選して、家に等身大フィギュアが来たそうです」
「つまり、その男は、生身の女性も好きだったが、フィギュアの方がもっと好きだったというわけだな?」
「あれあれ。どうして突っ込まないんですか? この説明って、どう見てもおかしいでしょ?」
「分かっているとも。秋葉原には、生身の女性よりもフィギュアが好きな男性が多いことはね」
「うーん、突っ込んでくれないと怖いな。天変地異が来なければいいけど」
「天変地異は無いよ。それは保証してやろう」と私は微笑んだ。そう、このあと天変地異が無いことだけは間違いない。
「そうですか。じゃあ続けますが、自分が本当に愛しく可愛いと思うものを断腸の思いで破棄しないと効果はないんですよ。要らないものや、単に高価なものを捨ててもダメなんです。実際に、オーディオマニアが、音が気に入らなくて処分しようと思っていた高級アンプを処分してからお稲荷さんに祈ったところ、福が来るどころか、悪いことばかり立て続けに起こったそうです」
「なるほど」
「それを知って、僕も興味が出てきましてね。実際に試してみることにしたんですよ。僕の命から8番目ぐらいに大事な積水金属の初期生産版、山手線103系10両編成をスパッと処分しました。窓が低くて銀帯も入っていない貴重品ですよ」
「ふむふむ。それは鉄道模型だね?」
「あれ、8番目かよって突っ込まないんですか?」
「ともかく続きを聞こうじゃないか。それを処分して、何をお稲荷さんにお祈りしたのだね?」
「はい! もちろん、編集長が気に入る素晴らしい奇譚をください、とお祈りしましたよ!」
「で、奇譚は見付かったのかね?」
「はい! お祈りした後で、ハッと気付きましたよ。このお稲荷さんの話そのものが素晴らしい奇譚だって」
「確かに興味深い奇譚ではある」
「やった! 初めて編集長が認めてくれた! もう死んでもいい!」
ボケ太は嬉しそうにはしゃいでいた。まるで子供のようだ。それほどまでに、ボケ太は私のための奇譚を欲しがっていたのか。とても可愛い奴だ。
しかし、その可愛さ故に、私はボケ太を会社から破棄しなければならない。
「確かにそれは私も気に入る奇譚ではあるのだがな」と私は言った。
「は?」とボケ太は不審そうに踊りのポーズの途中で身体を止めた。
「その話はとっくに私も知っていたのだよ」私は原稿用紙を机の上に置いた。「記事ももう書かれている」
「へ?」とボケ太は踊りの途中のポーズのまま間の抜けた声を出した。
「最後の最後にまさか本当の奇譚を探してきたかと思ったが、とっくに知れ渡った話を拾ってきただけだったとはな。この話題、給湯室経由で女子社員達が社内じゅうに広めているぞ」
「ええっ!!」とボケ太はポーズ固定のまま驚きの声を上げた。
「ついでに言えば、私もそのお稲荷さんにお祈りを捧げてきたよ」
「な、なんてお祈りしたんですか?」
「記事になる奇譚がたくさん見付かりますように。実際、そのあと記者達は続々と奇譚を発見しているところだ」
「で、その代償として、どんな愛しいものを破棄したので?」
「君をクビにした」と私は答えた。「重役達からも承諾済みだ。より正確に言えば、アキハバラで遊び回っているボケ太はクビにしろと繰り返し言われていたのだ。これまで私が君を庇ってきたが、それも限界になったということだ」
「うーん」ボケ太は、ポーズ固定のまま床にひっくり返った。
どうやらショックが大きすぎたようだ。
しかし、ボケ太が倒れたままで終わるはずがなかった。
再びむっくり起きあがると潤んだ目で私を見ながら言った。
「つまり、僕を破棄して編集長に福が来たということは、編集長にとって僕は本当に愛しく可愛い存在だったのですね!」
「まあ、そういうことになるな」
「嘘じゃないんですね!」
「嘘なら、福ではなく不幸が来るはずだからな」
「僕は立ち直りました」とボケ太はガッツポーズを作った。「編集長に愛されていたからこそ破棄されたのだ、と分かれば勇気百倍。駄目な奴だから破棄されたと言われたら凹みますが、そうじゃないんですから。僕は駄目じゃないんだ!」
確かに、こいつは可愛い奴だ。それは本音であり、けして嘘ではない。しかし、ボケ太の言葉には1つだけ誤った解釈が含まれていた。僕は駄目じゃないんだ!というボケ太の叫びだけは間違っていた。
私はそれを訂正するために言った。
「いや、駄目な子ほど可愛いと言うじゃないか」
アキハバラ奇譚ズ 完
(遠野秋彦・作 ©2004 TOHNO, Akihiko)
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